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20世紀絵画において絵画の統一的原理を色彩によったフォービズムに対して、モチーフの形態にこだわり、それを絵画の統一原理としたのがキュビズムである。
フォービズムが感覚的な色彩表現であるのに対して、キュビズムは理知的な形態把握によるモチーフの分析と解体そして、その再構成をおもな絵画の統一原理としていた。
キュビズムの推進者はモンマルトルで活動していたパブロ・ピカソ(1881-1973)、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)で後にファン・グリス(1887-1927)が加わった。彼ら3人が正統派キュビズムの中心として活躍し、第一次世界大戦まで目覚しい活躍をする。彼らキュビズム美学の根本的原理は、感覚的秩序よりも理知的秩序にもとづくもので、世界の分析と解体を試み、それを再構成するという点であった。それは、2次元であるキャンバスに3次元の世界を復活する格闘でもあった。対象をより完全に捉えるために一つの視点から見えるとおりに描くのではなく、立体を意識し、視点を複数化して描くことが要求されていく。
それは、描く対象を分析し解体して断片化していく作業がおこなわれる。 キュビストを擁護したギョーム・アポリネールは「まるで外科医が死体を解剖するように対象を分解する」と言っている。この作業はキュビスト美学の第一段階である対象の分析で、次の作業は断片化された対象を再構成することである。
このようにキュビストの画面を統一させる統一的原理は、2次元キャンバスに3次元の世界を復活するために、対象の分析と解体による対象把握をし、それにより断片化された対象を再構成することであった。これにより、対象の真実を確認するという認識上の要求が満たされ、画面を秩序づける造形原理を満足することができた。
同時期、モンマルトルで活動していたピカソとは別に、モンパルナスにキュビズムのもう一つの中心があった。モンパルナスのキュビズムの中心にはフェルナンド・レジェ(1881-1955)、ロベール・ドローネー(1885-1941)がいた。彼らの追求するキュビズムはピカソらのものと基本的に変わらないものではあったが、2つの点で大きな差異があった。
1つは、ピカソたちが形態にこだわることで画面が色彩を無視し、彩度の少ない渋い色調の作品を生み出していくのに対し、ドローネーやレジェは、印象派の築いた原色の表現を受け継ぎ、明るい彩度の高い色彩を画面に表現させたことである。
もう1つは、ピカソやブラックらが2次元の画面へ3次元をいかに造形していくかにこだわるあまり、彼らの作品は静止した作品であるのに対し、レジェやドローネーはダイナミックな動きを作品に導入した。
モンマルトル、モンパルナスとは別にキュビズムの運動にはもう1つの中心地があった。パリの郊外にあるピュトーという町でアトリエを構えていたジャック・ヴィヨン(1875-1963)、マルセル・デュシャン(1887年
- 1968年)、レモイン・デュシャン・ヴィヨン(1876-1918)の3兄弟がグループの中心で、ロジェ・ド・ラ・フレネー(1885-1925)、フランソワ・クプカ(1871-1957)、などがいた。彼らはレジェやドローネーと連絡をとっていた。
後に彼らの中から抽象絵画の先駆ともいえる『セクション・ドール(黄金分割)』の運動がおこる。キュビズムが対象の分解と再構成を基本的美学としている中で、キュビズムは画面のコンポジションを重要視して構成原理を追及することになる。この構成原理を数学的見地から極度に追求したのが『セクション・ドール(黄金分割)』の運動である。幾何学的抽象の第一歩ともいえるだろう。
キュビズムは、フランスのパリという特定の場所で期せずして起こり、その運動は1914年の第一次世界大戦勃発とともに彼らの運動は停止させられてしまう。しかし、キュビストたちはキュビズム美学をほぼ完成させ、独自の世界をそれぞれに追求し深めていくことになる。 |