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さて、あなた独自の形の追求によって、あなたらしさが生まれてきたでしょうか?
おそらく、この試行錯誤によって、形のみならず、独自な技法が生まれた方がいるのではないでしょうか? そのような人は、今回、形の追及によって生まれた技法は自分のものであることが体感できたのではないかと思います。ただ単に人から真似た技法は、美しい画肌や色味が生まれたとしても、あなた自身の形の反映ではなければ、それはつまらないものになっていく事でしょう。もっと言えば時間の無駄ですのでやめてしまいましょう。まだ、あなたの好きな絵を模写していた方がよろしいかと思います。あくまでも、あなたの形のために試行錯誤した技法こそがあなたのものへと発展していくことでしょう。
形は流動的に変化します。独特なあなた自身の要素を持つその形は、色々と変幻自在に画面で形を変えていきます。もしあなたのデッサンの形が油粘土のような性質の形ならどうでしょう。実際に油粘土という限られた素材で様々なものを表現すると面白いかもしれません。この場合は、油粘土と言う独特の粘りや硬さ、引きちぎった時の形状、弾力などの要素をつかって様々なものを表現すれば、この素材の持つ表現の幅が見えてきます。同じようにデッサンでもあなた自身の形の表現の幅が見えてくることでしょう。表現の幅は限界ではありませんが、今のあなたの限界です。
この場合、粘土では粘土と言う素材の性質を利用した実験であり、実際では、粘土で表現する時、粘土が粘土らしく見えることは、あまり、表現といえるものではないでしょう。同じようにデッサンでは、鉛筆や木炭の線であることが明白に画面から浮いて見えることは表現には当てはまらないでしょう。私たちはある要素を持つ道具であらたな性質、要素を生み出していることをあらためて認識させられます。
よく、絵の教則本にガラスはこのように描く、水はこのように描く、花はこのように描くといった単体での描き方をあたかも当然のように教えているものがあります。しかし、実際に同じ画面のなかで描写した時は、ガラスよりも、花の方が硬く見えたり、水の方がガラスらしくなってしまったりして、めちゃめちゃになることがあるでしょう。物の性質は画面の中で相対的にどのように見えているのかによってお互いが活かされていきます。黒いものがあるから白いものがひきたったり、硬いものがあればこそ、軟らかいものがひきたったりするのです。これは基本的なことですが技法にとらわれたり、自分を失っているときに忘れがちになることです。
今、捜し求めている形にノーマルな形があるとしましょう。その形には、あなた独自の性質、性格があります。その性質性格が、あるモチーフを表現する時、形を変えていくことでしょう。時には硬くなり、軟らかくなり、透明性が増し、消えかかったり、色々とあなたの形の範疇で形状を流動的に変化させていくことでしょう。そしてそれは、画面の文脈の中で控えめに見えたり、存在を主張したりしていきます。あくまでも、あなたの形の変化であることがみてとれることが大切でしょう。それは独特の画肌になります。あなたしかできない形は、新しい技法を生み出すでしょう。それは、あなたと一体となります。また、ゴッホが教会を歪ませたように、あなたの心の形は、あるものを歪ませずにはいられなくなるかも知れません。そこには、遠近法の入り込む余地などないことかもしれません。当然、画面全体は、あなた独自の文脈の中ですべてがある役目を持って迫ってくることでしょう。
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