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芸術は爆発だ!岡本太郎が伝えたかった芸術

芸術と絵画史|デッサンと言う礎

岡本太郎の言葉を理解してみる

「芸術は爆発だ!」とテレビで叫んでいた岡本太郎を記憶に留めている方はまだ多くいると思います。

それは、とても奇抜で、芸術家というのは変わり者だと印象づけてしまうようなものでした。彼の逝去後、彼の奇抜な印象は薄らいでいます。

その反面、彼の豊富で質の高い作品や書籍は埋もれることなく注目され、社会に大きな影響力を与えています。

彼の遺した本を読むと客観的な視点による芸術の意義、人が本当の意味で生きていくために芸術が日常には不可欠だということが本当にわかります。

特に、私が感銘を受けた書籍は、1954年に光文社から発売された『今日の芸術』です。1954年といえば半世紀以上も前ですが、そんな古い書籍が今でも売れつづけています。

『今日の芸術』という題名から、1954年の頃のことが書かれていると思ってしまいますが、読んでみると驚くくらい現代人が慢性的に抱えている人生の悩み、病のようなものに関わる内容を解き明かしています。

岡本太郎自身が意図したのかわかりませんが、この『今日の芸術』という題名は、普遍的な内容であることを表す格好になっています。

その『今日の芸術』より引用させてもらった「生きるよろこび」の文章を読んでください。


『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』
著者:岡本太郎 出版社:光文社


生きるよろこび

 まことに、芸術っていったい何なのだろう。
 素朴な疑問ですが、それはまた、本質をついた問題でもあるのです。
 芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
 しかし、何かそうでないように扱われている。そこに現代的な錯誤、ゆがみがあり、またそこから今日の生活の空しさ、そしてそれをまた反映した今日の芸術の空虚も出てくるのです。
 すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、その喜びが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。そういう観点から、現代の状況、また芸術の役割を見かえしてみましょう。


◎現代人は、部品になった

 私はいま、芸術はけっきょく生活そのものの問題だといいました。
 ふつうの人は、「生活」というと、働いてその日その日をなんとか食いつなぎ、余暇には適当な娯楽、といってもせいぜい映画や、プロ野球、プロレス、ボクシングを見たり、あるいはハイキングか、温泉旅行というようなレクリエーションをするくらい。そして翌日からは、また精を出して、食うために働く。それが、まああたりまえ、人間なみの生活だというふうに考えています。
 なるほど人は、社会的生産のため、いろいろな形で毎日働き、何かを作っています。しかし、いったいほんとうに創っているという、充実したよろこびがあるでしょうか。正直なところ、ただ働くために働かされているという気持ではないでしょうか。
 それは近代社会が、生産力の拡大とともにますます分化され、社会的生産がかならずしも自分本来の創造のよろこびとは一致しないからです。逆にただ生きるために義務づけられ、本意、不本意にかかわらず、働かされている。一つの機械の部分、歯車のように目的を失いながら、ただグルグルまわって働きつづけなければならないのです。
「自己疎外」という言葉をご存じでしょう。
 このように社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが、自己疎外です。
 自分ではつかうことのない膨大な札束をかぞえている銀行員。見たこともない商品の記帳をするOL。世の中は自分と無関係なところで動いているのです。
 一日のいちばん長い時間、単一な仕事に自分の本質を見失いながら生きている。
 たいていの人は、食うためだ、売りわたした時間だから、と割り切って平気でいるように見えます。しかし、自己疎外の毒は、意外に深く、ひろく、人間をむしばんでいるのです。
 義務づけられた社会生活のなかで、自発性を失い、おさえられている創造欲がなんとかして噴出しようとする。そんな気持はだれにもある。だが、その手段が見つからないのです。


今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

著者:岡本太郎 出版社:光文社より引用。

この続きは、[Amazon.co.jp]のサンプルで読むことができるようです。

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この「生きるよろこび」では非常に抽象的かつ、漠然としていますが、つづく文章「現代人は、部品になった」を読めばわかるように、岡本太郎は芸術いついて具体的に解説していきます。

私が岡本太郎の本を読んだ感想としては、芸術は受動的ではなく、能動的だ!ということ。しかもそれは、特別な人だけではなく、人それぞれに備わっているものだということです。

この本の「楽しいが空しい」という文章にも書かれていますが、スポーツ観戦をして、一喜一憂し、感動している観客がいます。

しかし、スポーツ観戦は楽しいですが、その中でいちばん光り輝いているのは、能動的に創造力を発揮している選手やコーチ陣で、観客は実感のない空しさが残ります。

観客は自分が能動的に創造力を発揮できる別のフィールドがあるならよいでしょうが、自分の居場所がなく毎日が受動的であったら人生が空しく終わるような気がします。

そのようなことから私は、日常的な自分自身の能動的で創造的な行動によって、他人が感動したり、喜んだりしてくれることが、そのための行動も含めて芸術と呼べるものではないかと思いました。

岡本太郎のおすすめ本

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芸術家の書く文章の魅力は、何と言っても彼らの創造の秘密をのぞかせてくれることだ。「芸術は爆発だ」であまりに有名な岡本太郎による本書もその例に漏れない。本書は、美術、歴史、民族学など広範な知識を駆使し、論理的に展開しているが、創作者の実体験に基づく論述だけに退屈させない。また全編を貫く著者の芸術に対する深い信念が文章に勢いを与え、読者を魅了する。


デッサンと言う礎-管理人

岡本太郎の本をもう一冊進めるなら、『自分の中に毒を持て』をおススメします。

この本では人が人生の岐路に立つとき、どのように判断するべきか、岡本太郎自身の経験が述べられています。

あなたの人生をも変える、人間であるあなたに問いかけるような本です。

岡本太郎死後、再び脚光を浴びていて2017年に新装版が販売されました。

(デッサンと言う礎)

岡本太郎の最近の動向を探る!

岡本太郎美術館…川崎市岡本太郎美術館では、2003年にメキシコで発見された壁画《明日の神話》の公開にあわせて、当館所蔵の《明日の神話》原画を中心に、作品が制作された過程と時代背景 を、映像・写真とあわせてご紹介します。

明日の神話|岡本太郎記念館…2003年秋、長らく行方がわからなくなっていた岡本太郎作の巨大壁画『明日の神話』がメキシコシティ郊外で発見されました。岡本太郎作の巨大壁画「明日の神話」を 再生するプロジェクトが2004年立ち上がり、「明日の神話」は、 メキシコ人 実業家の依頼を受けた岡本太郎が、1968年~69年にかけて何度も現地に足を運んで完成させました。

岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルページ…壁画『明日の神話』は渋谷駅の連絡通路で公開中です。

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