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個人的な技法ではなく、デッサンの要素といったものです。
中でも絵を描く上で何故うまくいかないのかがわからない。わからない所がわからないので、改善ができない。そういった方のために絵画・造形の要素であるデッサンの種明かしを少しばかりできればと思っております。
現在、多くの参考書や教室、カルチャーセンターなどでデッサンを学ぶことが出来ます。 しかし、そこではなかなかデッサンの要素を公にはしないものです。 悪い時には、教師の描き方を教えているところもございます。その時確立された教師のデッサンの描き方を否定することはほとんど不可能に近いでしょう。
もし、あなたが自分自身の絵画でなくその教師のような絵を描きたいのなら話は別です。しかし、多くの方は、自分だけの、オリジナルのデッサンを描きたい事でしょう。そこで私は多く語られることのないデッサンの要素を出来る限り、提言していきたく思います。
そして、その中で培われた作品を社会に発表していただければ幸いに存じます。
現在日本は、芸術というものを純粋に理解していかない潮流にあります。例えば、商業的利用価値のないものは ことごとく排除を余儀なくされているのが現実です。芸術が純粋に市場に加わることは、正直、想像できることではありません。例えば素晴らしいと感じた無名の作家の絵画を何万円も出して多くの人はなかなか購入が出来ないでしょう。
しかし、我々日本人は、何万円も出して海外旅行へ行き、高級料理を食したりしております。 このような日本の構造や価値観は簡単に変わるものではありませんが、芸術の力がわれわれ日本人の構造、価値観を
揺さぶっていくことを願っております。
そのためにも、絵画や造形の言語ともいえるデッサンを多くの方に学んでいただく事が重要と考えます。
現在、様々な教育機関では、芸術の基礎分野であるデッサンの基礎さえ、なかなか入手できないくらいの閉塞性を余儀なくされております。そこで今後の日本は人間の表現方法の一つである造形を学ぶため、その要素であるデッサンを大きく開放していかなければならないと考えます。
この考えに反論する多くの意見として、「個性を潰してしまう。」「考える力をつけることが出来ない。」「専門機関で学べばいい。」ということがあげられます。
しかし、小説家を例にすれば、小説家が文章を書く基礎なくして、どうやって個性をみにつけることができるでしょうか!?言語なくしては個性など身につくはずありません。私たちは、考える言語を駆使し自分自身の人生によって個性を育んでいるのです。絵画や造形も同様に、デッサンという言語を駆使し、独自の個性のある作品を育んでいかなければなりません。また、誰もが本を読むように、造形、絵画を読めるようになることも大切なことです。
更に、デッサンを提言する理由として、デッサンという考える言語なくしては、表現の取捨選択をすることは難しいといえます。つまり、絵画などあらゆる造形を作り出すとき、私たちは、基礎的要素(絵画の言語)なしでは、デタラメな表現にならない表現をつくり続けてしまいます。そして、芸術において閉塞的な日本の教育では、基礎的要素を明かさないことで、なぜ表現したいことが表現できないのかをわからないまま、「わからないことがわからない」状況を生み出しています。このことは、鑑賞することにも当てはまるでしょう。
例えば造形の基礎知識なしに、無名の作家の絵を自信を持って購入する市場をどうやってつくりあげることができるでしょうか? この問題は現在もっと深刻なことがおきています。「わからない所がわからない」それに気づいて高いお金を出し入学した専門的な学校で学習した結果が、教師の表現方法(描き方)にすりかえられてしまうことは少なくありません。
造形を学ぶ学生にとって「わからない所」は、造形の基礎的要素であり、誰もが取捨選択できる普遍的な造形の言語です。それらの言語は、造形を構成し、生活を構成し、人生を豊かにしていけるものです。
どうぞ、微力ながらこのサイト『デッサンと言う礎』を通じて他にはない、あなたしか出来ない個性的な表現を確立していただけたら嬉く思います。 それは、造形のみならず、日常の考え方、物理的にも心理的にもさまざまに“もの”の見方がより良く変わることでもあります。その結果、あなたの作品、人生が素晴らしい歓喜、喝采に満ちたものになれることを祈ります。
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