絵画における「描くべき題材(モチーフ)」の探究|日常性と主観的視点の意義
本稿では、「純粋絵画」において描くべき題材(モチーフ)について考察します。
ここでいう純粋絵画とは、商業的・政治的な目的から離れ、自己の内面的な探究や芸術表現そのものを目的とした絵画活動を指すものとします。
絵を描こうとする際、多くの人が「表現したいテーマはあるが、具体的に何を描けばよいか分からない」と戸惑うことがあります。
たとえば「生と死」「自然」「はかなさ」といったテーマは、抽象的かつ観念的であり、それを視覚的に表すためには、適切な題材の選定が必要となります。
しかし、この題材の選択が、想像以上に難しく感じられる場合が多くあります。
このような状況において陥りがちなのが、強い社会的インパクトや影響力を求めるあまり、直接的なメッセージ性を優先しすぎることです。
たとえば風刺画やプロパガンダ的な表現は、テーマに即した効果的な手法である一方で、本来の個人的な関心やスタイルから逸脱する危険性もはらんでいます。
もちろん、社会的題材や風刺的要素を取り入れること自体は否定されるべきではないですが、それが自己の芸術的動機や美的感覚と乖離している場合、作品の統一性や深みが損なわれることがあるので注意したいところです。
では、自己のテーマに即し、かつ自身の表現スタイルを活かせる題材とは、どのように見出されるのか。
その答えのひとつは、「日常」に目を向けることです。
日常の中にこそ、主観的な視点に基づいたユニークなモチーフが潜んでいます。
実際、美術史をひもとけば、日常生活の一場面を描いた作品が多くの名画に存在しています。
たとえば、フェルメールの《牛乳を注ぐ女》は、台所で女性が静かに牛乳を注ぐ瞬間を描いたものですが、その場面は光の扱いと構図によって、詩的かつ神聖な空間へと昇華されています。

フェルメール『ミルクを注ぐ女』1658-1660年[キャンバスに油彩,45.5 cm×41 cm,アムステルダム国立美術館]
この作品におけるテーマは明示されていませんが、鑑賞者は日常の中に潜む豊かさや静謐を読み取ることができます。
また、ドガの《アイロンをかける女たち》では、働く女性たちの日常的な姿を描写しながらも、その表情や身体の緊張感を通じて、労働のリアリティや人間の存在感が強く表現されています。

ドガ『アイロンをかける女たち』1884-1886年[キャンバスに油彩,76 cm×82 cm,オルセー美術館]
これらの作品に共通するのは、「日常」という題材の背後に、作家固有の視点と深い内面性が備わっている点です。
つまり、描かれたもの自体は誰にでも見える風景でありながら、それをいかに見て、いかに描くかという「表現のスタイル」こそが、作品の独自性と芸術的価値を決定づけています。
ここで重要なのは、いわゆる「オリジナリティ」が絶対的に新しいモチーフの発見ではなく、個人的経験や感性に根ざした解釈と表現によって生まれるという理解です。
また、日常を題材とした絵画には、以下のような三つの美的作用が備わります。
- 共感性:鑑賞者が自身の経験と重ね合わせることができるため、作品に親しみを感じやすい。
- 視点の変容:見慣れた風景や事物を新たな角度から提示することで、日常に潜む美を再発見させる。
- 創作の持続可能性:日常は常に更新される経験であり、そこから題材を得ることで創作活動を継続的に行うことができる。
以上の美的作用を得るには、日常の題材に向き合うことです。
そのため、描くべき題材に迷ったときには、壮大なテーマに対応するモチーフを遠くに探すのではなく、まず自らの身の回りに目を向けてみることが有効です。
家庭の食卓、窓の外の風景、日々の何気ない仕草や情景も、主観的な視点を通せば十分に芸術的価値を持ち得ます。
「題材は遠くにあるのではなく、むしろ最も近しい場所に存在する」。
この視点こそが、絵画表現における持続的で深い創造性を育む礎となるでしょう。
2025年7月15日執筆公開

