デッサンと言う礎

デッサンとドローイング

日本におけるデッサンとドローイングに対する表現描写の違いから、それぞれの制作意識を理解しよう。

デッサンとドローイングの違い

ドローイングは線描、線画が主体となる素描と捉える場合がありますが、一般的にはデッサンとドローイングは同じ意味として利用されます。

しかし日本の絵画制作の現場においては、意識的にデッサンとドローイングを分けて利用するケースがあります。

そこでデッサンとドローイングを区別した場合の意味内容を理解しておけば、制作現場での混乱を回避することができるかもしれません。

そのような点に着目して、デッサンとドローイングの違いについて考えてみたいと思います。

まず、日本ではデッサンの方がドローイングよりも使用頻度が多い言葉になります。

例えば「人物デッサン」は人物(モデル)を画用紙などに再現させることが連想され、「石膏デッサン」では石膏像を木炭紙などへ描写していくことが想像できます。

このときのデッサンは、対象物を鉛筆や木炭などによって描く古典的手法、あるいは再現的描写と考えることができます。

一方、日本におけるドローイングは、古典的手法や再現的描写ではなく、作者の内面的要素を強く表現する描写を指している傾向があります。

例えば子供が画用紙に殴りがきしたり、チョークなどで道路に描く自由で抽象的な描写はドローイングといわれるものになります。いわゆる線画、線描というものです。

子供の自由な殴りがきや線描を「デッサン」と呼べないけれど「ドローイング」と呼ぶことはできると思います。

このようなドローイングはデッサンと比較すれば自己内面の描写である傾向が強いので平面性が強くなる傾向があります

ドローイングは一見、対象やモチーフを否定したような自由な描写と考える傾向がありますが、描写するための対象物やモチーフを完全に否定するものではないと考えます。

デッサンとドローイングに見られる制作者の意識

このデッサンとドローイングに見られる制作の意識はどのようなものか、考えてみたいと思います。

先ほど述べたように、デッサンでは古典的な手法を意識して描写する傾向があります。

例えば、現実を再現するように、形態を正確に写し取り、明暗法で立体的に描く空間は、ルネサンス期から研究されてきた絵画制作に対する意識と造形手法によるものです。

そして、多くの美術教室や美術系の学校では、このような意識と造形手法によって造形の基本を教える傾向があります。

一方ドローイングには、デッサンにはない意識と手法により生まれる絵画の要素があります。

アメリカにおける抽象表現主義に見られる描写から、その絵画の要素を見ることができます。

例えば、ジャクソン・ポロックの絵画からは、絵具の飛沫、更にそれらの重層的でロール・オーバーな抽象表現を見ることができます。

ジャクソン・ポロック作『ナンバー11, 1949』
ジャクソン・ポロック作『ナンバー11, 1949』

そこにはアカデミックな要素はなく、ポロックのコントロールされた絵具の飛沫と、それを成し遂げたポロックの感情や身体性といった要素を発見することができます。


以上から想像できると思いますが、デッサンとドローイングの表現描写の意識は大きく異なります。

まず、デッサンでは現実世界のような絵画空間が目指される傾向があり、ドローイングでは制作者独自の内面性や身体性が大きく表れた絵画空間が目指される傾向があります

更には両方を混在したような作品も数多く存在しています。

このように3次元の世界を2次元の平面に表現するという意識と自己内面に対する意識のあり方が、デッサンとドローイングの質に反映していきます。

また、制作時間にも違いがあります。

多くのデッサンは長い時間をかけて段階的に表現描写が蓄積されて完成しますが、ドローイングは即興ともいえるぐらい瞬時の判断によって描写されていき、短時間で完成へ至る傾向があります。(ライブ・ペインティングが思い浮かびます。)

このようなデッサンとドローイングに見られる表現には感性の相違を発見することができます。それはデッサンが意識的な傾向が強い描写であること、ドローイングが無意識的な描写であることです

デッサンは現実の目に見える対象を描くという意識的な描写で、現実を再現するための構成手法と造形能力が明示されます。

他方、ドローイングはライブ・ペインティングのように何かを見ながら描くことをしない無意識的な描写で、個人の感性や人間性、観念などが明示されます。

例えばドローイングに見られる自動筆記による描写は意識的なことが排除されて、感じたままを描き進めていきます。そこにはどのような色を使うのか、どのような面で描くのか、そして、どこで描写を終了するのか、といった作者にしか理解できない感覚があります。

ドローイングにおける対象(モチーフ)の有無

ドローイングにおける作品は、抽象表現主義などに見られるように、作者の内面や身体性が強く反映されたものと考えることができます。

このとき、表現描写に対象(モチーフ)がないと考えられがちですが、ドローイングが日常の行為を体現したものであるならば、日常の行為を対象(モチーフ)として位置づければ、対象(モチーフ)は存在していると考えられるでしょう。

つまり、人生経験の蓄積がドローイングによって表現されているといえます。

また、瞬間瞬間の意識や衝動をドローイングとして描くために、人体(モデル)の動きや音楽を対象(モチーフ)とすることはよくあるケースです。

このサイトにおける右脳で描くことで書かれていることはドローイングを理解する手掛かりとなるので、時間があればご覧ください。

デッサン描き方と基礎技法-目次