ダダイズム|社会の中の芸術とは…

デッサンと言う礎|デッサンの描き方と基礎

ダダイズム-社会の中の芸術とは…

芸術って何だ!

■時代
20世紀初頭、第一次世界大戦中の1916年に起きる。

■主な場所
スイスのチューリッヒで始まり、アメリカはニューヨーク、ドイツはベルリンやケルン、ハノーヴァーなどへ広がる。

■主な人物

スイスのチューリッヒ

アメリカのニューヨーク

ドイツのベルリン

ドイツのケルン

ドイツのハノーヴァー

■ダダイズムの始まり
「ダダ」は20世紀初頭に台頭した芸術運動であり芸術思想です。「その運動を称する「ダダ」は。ラルース辞書を無作為に繰って偶然出た語であるとか、色んな説があるが、要するに「無意味」を意味し、それゆえに彼らの否定精神を象徴する語である。

ダダは第一次世界対戦中およびその直後に、各地に広まった運動である。「ダダ」の運動は、「大戦」による悲劇的な犠牲を強いた既成価値体系の反発と考えられる。
西欧文明を自己破壊へと追いやる科学的で技術的な進歩を促す合理的な近代社会と武力を激しく避難した。
また、ブルジョア社会の仕組みや、そこに安住してしまった科学的で合理的な枠組みに囚われる芸術の方向性に対して否定的で、反芸術的な運動といえる。その閉塞した危機的な状況からの脱出するために合理性とは正反対の作品を提示した。それは、嘲笑的で馬鹿馬鹿しく冗談めいていてる。社会的反抗でありながら虚無主義的で直観的で感情的な作品を発表した。「ダダ」の芸術運動や思想を理解せずに20世紀後半の芸術を理解する事は困難であろう。

■スイス-チューリッヒのダダイズム
「ダダ」は1916年、チューリッヒの芸術クラブ「キャバレー・ヴォルテール」をルーマニアの詩人トリスタン・ツァラら多数の芸術家によって開店し、毎夕、クラブで音楽や文学のデモンストレーションを行なった。
ドイツの作家フーゴ・バルは音声詩という試みを行なっている。それは、何の意味も持たない羅列のような詩の事で、紙製のなんだか分からない服を着て、一晩中大声でもっともらしく朗読をした。
ツァラも同時進行詩というのを試みている。これは、英語、フランス語、イタリア語で同時に詩を朗読して、聞く人が意味不明になってしまうものであった。
これは、既製の文化を否定するために、意味をはぎ取る行為と考えられる。その後に現れる意味がない根源的な物質、素材から始めることを基本としていた。
現代のハプニングやイヴェント、パフォーマンスなどの原型といわれる。

マルセル・デュシャン ■アメリカ-ニューヨークのダダイズム

ニューヨークではチューリッヒの活動をうけつぐのではなく、同時発生的にダダ的活動が行なわれた。中心的人物にフランシス・ピカビア、マン・レイ、マルセル・デュシャン(1887年7月28日 - 1968年10月2日)(右画像, 書籍 - amazon.co.jp)らがいる。

そこでは造形芸術の領域に関わる問題が争点の中心で、既存のあらゆる芸術の体系を打ち壊そうという意志を持ち、芸術観や美学を徹底的に批判した。

デュシャンが1917年に発表する『泉』は、既製品を美的感覚によらずに選ぶレディ・メイド(左画像, 作品集 - amazon.co.jp)という概念で、視覚的な美しさや作者による技巧などの価値観を否定する。近代芸術の「純粋な美」を追求してきた画家の感覚、感性を捨て去る行為として『泉』という題名の下、便器を「選ぶ」という方法をとったのである。


デュシャンは、芸術表現にふれる鑑賞者の引き起こされる観念自体が「芸術作品」と主張した。このような作家と鑑賞者をつなぐ表現行為はハプニングやパフォーマンスに受け継がれていく。

また、デュシャンにおいて特筆すべき所では、『ジョコンダ・L・H・O・O・Q』(右下画像, ポスター - amazon.co.jp)という作品で『モナ・リザ』の複製に口ひげをつけた作品がある。 口ひげを描き混むこむことでジョコンダ夫人という主題のイメージとしての『モナ・リザ』は嘲笑され、支持体と絵の具の塊のオブジェへ引き戻されてしまった。既存の芸術に対する否定が含まれ、様々な議論がなされた。

『ジョコンダ・L・H・O・O・Q』のように、すべての絵画は同じようにただの支持体と絵の具の塊である。だが『便器』と『モナリザ』は両方とも大衆の象徴として利用されていて、あるコンセプトにおける厳選された主題ともみえる。この行為は、後のコンセプチュアル・アート(1960年代から1970年代の前衛芸術運動)へ通じていく。

デュシャンの活動は、その後の非芸術を芸術に取り込む行為の根拠ともなり、批判した芸術や美学の発展に寄与し利用されることになる。 ポスター マルセル デュシャン L.H.O.O.Q 1919年

■ドイツのダダイズム

ベルリンにもまた、社会的な混沌の渦のなかで、新しい価値体系を打ち立てようとする動きがあった。チューリッヒのダダの否定的で破壊的な響きとは異なり、ベルリンの方向は、新しい価値、それも芸術内で終止するのではなくもっと広く社会全般に有効な価値を作り出そうとする点、つまり社会革命の志向を含んでいた点で特徴づけられる。

彼らの社会批判は、人間の生きる社会的な条件について考慮せずには、ほとんど何もかもが無効であるように、生存する事自体が問題になる。彼らの運動は「芸術」に限らず政治的な色彩に染められていった。

美術の視点では雑誌やポスターの作成を中心に展開された。手法は、タイポグラフィー、コラージュ、フォトモンタージュといった、自らの手で描くことをしない間接的な手法であった。コラージュではジョルジュ・ブラックが行なった様な、絵画の材料として取り込むものではなく、物質的な側面を重視した絵画を作る素材とは異質なものとして利用される。既存の絵画の枠組みを壊すことで、「反美術」としての美術作品を成り立たせようとする。コラージュはアッサンブラージュという手法をうみだし、彫刻と絵画といった既製の美術形式を揺るがせた。

■ダダイズムの終わり

ダダの運動は、個々それそれが新たな理念や価値体系を必要としていきます。戦争の収束や社会的な安定と共にダダという一種の象徴的運動は弱まり、ダダの行為や作品はアートと認識され、市民の中に取り込まれていきます。その後、シュールレアリスムなどの新たなアートへ引き継がれました。

ダダは何よりも、固定観念、既成概念を超克することの意義を世界に知らしめることに成功したアートです。アートにおいて、新たな方向を模索したこの運動は革命といえるでしょう。

ページの上へ