未来派-機械文明の賛美
西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史
このページの目次
未来派の主な人物
時代
1909年、詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティによって起草された「未来主義創立宣言」より始まります。
主な場所
イタリア
主な人物
- 詩人 フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ (Filippo Tommaso Marinetti; 1876-1944)
- 画家 ウンベルト・ボッチョーニ (Umberto Boccioni; 1882-1916)
- 画家 カルロ・カッラ (Carlo Carra; 1881-1966)
- 画家 ルイジ・ルッソロ (Luigi Russolo; 1885-1947)
- 画家 ジャコモ・バッラ (Giacomo Balla; 1871-1958)
- 画家 ジーノ・セヴェリーニ (Gino Severini; 1883-1966)
- フォルトゥナート・デペーロ (Fortunato Depero; 1892-1960)
- エンリコ・プランポリーニ (Enrico Prampolini; 1894-1956)
- アントニオ・サンテリア (Antonio Sant'Elia; 1888-1916)
- マリオ・キアットーネ (Mario Chiattone; 1891-1957)
- ブルーノ・ムナーリ (Bruno Munari; 1907-1998)
未来派の絵画の特色と様式
フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの未来派宣言は、既存の社会や芸術を打破し、新しく訪れる機械文明や産業社会を賛美するものでした。
マリネッティは芸術に必要なのは、機械、速度、運動、力などをモチーフにしてダイナミズムを表現するべきだと主張します。
『…機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。…』(未来主義創立宣言1909年)という言葉は有名で、汽船、機関車、飛行機を称えました。
また、工場や労働、近代的エネルギーを称え、戦争、ファシズムの政治運動に賛同し、女性を軽蔑した過激な思想でもありました。
これに賛同したイタリア人画家5人の男性が未来派グループを結成しました。その画家は以下の5人です。
未来派の画家と特色
ウンベルト・ボッチョーニ (Umberto Boccioni; 1882-1916)
[Elasticity , 1912年]
対象の動きや速度、時間を表現するために、キュビスムの手法を取り入れ、解体と分析、再構成を行いました。
カルロ・カッラ (Carlo Carra; 1881-1966)
[Manifestazione Interventista,1914年]
『参戦宣言, 1914年』という作品では、同心円と放射状の線で構成され、参戦を促すような軍国主義的メッセージが盛り込まれています。参戦の時を告げるサイレン音HUHUHUとか、TRrrrr、traaakなどの文字が音を想起させます。
彼は1916年ころキリコの影響で形而上絵画へ移行します。
ルイジ・ルッソロ (Luigi Russolo; 1885-1947)
[Dynamism of an Automobile, 1911年]
独学だった絵画は、運動、時間、空間、光、ダイナミズムを総合的に表現しています。
親から教育を受けていた音楽の知識を活かし、1913年には『雑音芸術・未来派宣言』を出し、都会の雑音や機械音などで構成された音楽を演奏しました。
ジャコモ・バッラ (Giacomo Balla; 1871-1958)
[Street Light,1909年]
彼の『街灯, 1909年』という作品では街灯の光と三日月が描かれています。この絵では、技術革新による都会の街灯の光が自然の感傷的な月を攻撃している様子が描かれています。機械文明、産業社会、技術革新が自然と寄り添うことではないことを暗示させます。
ジーノ・セヴェリーニ (Gino Severini; 1883-1966)
[Sea Dancer , 1914年]
セヴェリーニの絵画はキュビスムやオルフィスムの展開を敏感に取り入れています。形態や色彩は彼独自のものへ展開されています。
未来派の絵画様式のその後
未来派のテーマに基づいたキュビズムを応用する表現手法には、それまでにない目覚ましいものがあります。
しかし、未来派の思想はファシズム政治と戦争に加担していく過激な面があったので、第一次世界大戦とともに終息していき、大戦以降の活動は縮小されていきました。
第一次世界大戦中にダダへ多くの未来派の遺産が受け継がれました。