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印象主義-写実絵画のゆくえ

西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史

印象主義の主な人物

時代

19世紀後半。1874年にパリで行われたグループ展が契機と考えられています。

主な場所

フランスで始まり、ヨーロッパ、アメリカ、日本へ広がりました。

主な人物

  • エドゥアール・マネ(Edouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)
  • クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)
  • ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年2月25日 - 1919年12月3日)
  • エドガー・ドガ(1834年7月19日 - 1917年9月27日)

印象主義の絵画の特色と様式

印象主義は写実主義の主題を引き継いでいます。

写実主義は、現実のありのままを描こうとする一派で、主観的で理想化した歴史画や空想画にはない自然で客観的なものを追求し、農村や都会の日常生活や風景を主題にしていました。

そのような主題を受け継いだのが、マネ(1832-1883)、モネ(1840-1926)、ルノワール(1841-1919)、ドガ(1834-1917)などの印象派です。

同じ主題を受け継いではいましたが、それまでの写実的絵画にあった技法では満足できず、よりリアルな絵画を志すために、筆触分割という技法を生み出すことになります。

この筆触分割という技法は、原色、あるいは原色に近い色を隣り合わせることで、色の混濁を防ぐことを目的としていました。

その結果、印象派の写実的絵画は空気や光までも画面の中で写し出されていき、明るい画面が誕生します。これは究極の写実絵画と思われました。

モネ,日傘の女,1886年
[モネ, 日傘の女, 1886年]

しかし、空気や光の表現によって対象の形態は壊されていき、画面の構成が弱まることで、印象主義の絵画の傾向が疑問視され始めていきます。

それは極度の感覚による外界の表現が、主観的、抽象的な性格をもたらした結果で、写実主義絵画の限界とみることができます。

そして、新しい絵画の方向性を必要とし、印象派の絵画をいかに受け継ぐか模索されていきます。

印象主義の絵画様式のその後

印象主義が否定され始めると、後期印象派と呼ばれるゴーギャン(1848-1903)、ゴッホ(1853-1890)、セザンヌ(1839-1906)、新印象派と呼ばれるシニャック(1863-1935)、スーラ(1859-1891)が、それまでの印象主義を否定する考えを持って活動し始めます。

彼らの考えでは、「それまでの印象主義は外界のことばかり気にしていて思想の神秘的内部へ入り込んでいない。」「印象主義の主観的で感覚的過ぎる絵画には、科学的根拠が必要である。」というものでした。

ジョルジュ・スーラ,A Sunday on La Grande Jatte,1884年
[ジョルジュ・スーラ, A Sunday on La Grande Jatte, 1884年]

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