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マニエリスム-ルネサンス絵画への憧れと対立

西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史

マニエリスムの時代と主な画家

時代

1520年頃~1600年前後

ラファエロが1520年に逝去し、カール5世が1527年にローマに侵攻することで、ルネサンスの古典主義が終息して、マニエリスムが際立っていきます。

ミケランジェロの後半の芸術がマニエリスムに含まれるという見方があるなど、盛期ルネサンス以後のマニエリスムの解釈や定義には流動的な面があります。

主な場所

イタリア全域

主な画家

  • ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540)
  • ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494-1557)
  • パルミジャニーノ(1503-1540)
  • ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)
  • ティントレット(1518-1594)
  • エル・グレコ(1541-1614)

※ここでは、マニエリスムにおける一部の絵画の動向にかかわる人物について取り上げます。

マニエリスムの絵画の特色と様式

マニエリスムは盛期ルネサンスの古典主義にみられる調和への反逆、宗教改革やローマ劫掠の精神的不安の表現と解釈される場合があります。

しかしマニエリスムの絵画は盛期ルネサンスを否定することなく、ミケランジェロやラファエロの「手法」や「様式」を応用し、自然を超えた非現実的な色彩や明暗を用いたり、人体解剖学による調和の取れた均衡を敢えて崩したりして、芸術的な技巧、観念性が追求された幻想的な寓意的表現として見ることができます。

その結果、描かれる絵画は人体がねじれたり、人体の比例などが逸脱されて表現されます。また色彩は冷たく鮮やかになり、短縮法や遠近感の誇張などが行われて非合理な絵画空間が表出されます。

16世紀後半になると反宗教改革の影響で個性的なマニエリスムは沈静化して、穏健な後期マニエリスムが支配的になります。

マニエリスムの意味の変遷

マニエリスムとはイタリア語の「マニエラ」に由来し、「手法」や「様式」を意味します。

さらにジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)はミケランジェロやラファエロの「手法」や「様式」を絶賛し、「自然を凌駕する高度の芸術的手法」という意味をマニエリスムに付け加えました。

しかし、17世紀になると、16世紀の画家をミケランジェロやラファエロの「手法」や「様式」の単なる模倣者と見なして、創造性を失った芸術への否定的呼称としてマニエリスムという語が使われていました。

20世紀に入ると、このような評価とは切り離されて、盛期ルネサンス後の芸術動向の時代様式名としてマニエリスムという語が使用されるようになります。

マニエリスムのアーティストの特徴

ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540)

マニエリスム初期の画家で、盛期ルネサンスの調和に反する意識的な反逆、宗教改革やローマ劫掠の精神的不安の表現と解釈される場合があります。代表作『十字架降下』

ロッソ・フィオレンティーノ『十字架降下』
ロッソ・フィオレンティーノ『十字架降下』1521年
[パネルに油彩,375cm×196cm,Volterra City Museum and Art Gallery]

代表作『十字架降下』にみられる、悲壮感が漂う鈍く感じられる人物の動作や、切子状に明暗を並置させた観念的な色彩は、盛期ルネサンスにはない異質で主観的な絵画空間を感じさせます。

ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494-1557)

マニエリスム初期の画家でフィオレンティーノと同様、盛期ルネサンスの調和に反する意識的な反逆、宗教改革やローマ劫掠の精神的不安の表現と解釈される場合があります。代表作『十字架降下』

ヤコポ・ダ・ポントルモ『十字架降下』
ヤコポ・ダ・ポントルモ『十字架降下』1525年-1528年
[パネルに油彩,313cm×192cm,Santa Felicità(フィレンツェ)]

代表作『十字架降下』にみられる、明清色や暗清色のような淡白な色彩で描かれる人物の表情は、うつろで生気が欠けています。

盛期ルネサンスでみられた人物のプロポーションの比例や均衡は画家の主観によって変形されています。

パルミジャニーノ(1503-1540)

ミケランジェロとラファエロの影響を受けて、引き延ばされた人体を特徴とする典型的なマニエリスム絵画を制作しました。代表作『長い首の聖母』

パルミジャニーノ『長い首の聖母』
パルミジャニーノ『長い首の聖母』1534年-1540年
[パネルに油彩,219cm×135cm,ウフィツィ美術館 (フィレンツェ)]

ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)

後期マニエリスムを代表する画家であり建築家です。 代表作『ウルカヌスの鍛冶場』『ウフィツィ宮殿(現:ウフィツィ美術館)』

彼は1550年に『画家・彫刻家・建築家列伝 』を執筆し、中世に衰退したギリシャ・ローマの文化が、ルネサンス期に回復して古代を凌駕したとする美術史観を表明しました。

この本にはチマブーエ(1240-1302)から彼自身に至る133人の芸術家の作品や生涯などが記録されていて、美術史の基本資料として知られています(第二版(1568年)では30人追加されています)。

ジョルジョ・ヴァザーリ『ウルカヌスの鍛冶場』
ジョルジョ・ヴァザーリ『ウルカヌスの鍛冶場』1564年
[銅板に油彩,38cm×28cm,ウフィツィ美術館 (フィレンツェ)]

ティントレット(1518-1594)

ティッツァーノとミケランジェロに影響を受けたヴェネチア絵画を継承するマニエリスムの画家です。代表作『キリストの昇天』

彼は左右非対称の構図やねじれたようにデフォルメされた人体表現によって、画面に動きのある絵画を描きました。

その筆致は筆さばきが早いので、はっきりしていて粗いのが特徴です。

ティントレット『キリストの昇天』
ティントレット『キリストの昇天』1579年-1581年頃
[キャンバスに油彩,538cm×325cm,Scuola Grande di San Rocco]

エル・グレコ(1541-1614)

エル・グレコはヴェネチアでティントレットの影響を受け、その後ローマでミケランジェロの芸術に接し、スペインのトレドで活動しました。彼の絵画は非現実的空間表現や人物の長身化や様式化といったマニエリスムの特徴が、ヴェネチア絵画のような大胆な筆致で描かれています。代表作『オルガス伯の埋葬』

エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』
エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』1586年-1588年頃
[キャンバスに油彩,480cm×360cm,Church of Santo Tomé(トレド)]

マニエリスムの特徴的な絵画技法

マニエリスムの絵画は、ルネサンス絵画の特性である調和・均衡・安定を重んじる規範的理想美に対して反発するかのように、自然の模倣を無視したような主観的な傾向が強くなります。

ミケランジェロやラファエロの影響を受けたマニエリスムの絵画様式は、主に以下のような特色があります。

  • 洗練された技巧に加え、極端な短縮法や歪んだ遠近法による非合理的な絵画空間の構成
  • 強い調子の明暗法を駆使した幻想的な寓意的表現
  • 人体のプロポーションをねじったり、歪んだりさせることで生まれる運動感の描出
  • 幻惑するような非現実的色彩法

このような主観的な絵画に一定の説得力が維持されるには、テーマに合致した意図的なデフォルメと、個性的な絵画空間の均衡を保つための色彩と形態の構成手法にあると考えられます。

マニエリスムの絵画様式のその後

反宗教改革を契機に、信仰と布教のために美術は強化され、マニエリスム特有の異教的な性格や難解な寓意などが宗教の主題から排除され、絵画様式は教養のない民衆にもわかりやすい、感情に直接訴えるような単純明快な様式へ移行します。

その結果16世紀末には、各地でマニエリスムにとって代わる自然主義的で明快な様式へ移行していきます。この傾向は反宗教改革の中心地であったローマで顕著でした。

フィレンツェにおいても、マニエリスムから脱却しようとする反マニエリスムの台頭によって、現実的な自然を肯定する絵画様式へ変化していきます。

このような傾向が、その後訪れるバロックの舞台を用意することになります。

参考サイト

参考文献

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