エコール・ド・パリ-時代を作った自己流
西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史
エコール・ド・パリの主な人物
時代
20世紀前半
主な場所
フランス、パリ
主な人物
- アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(1844年5月21日 - 1910年9月2日)
- モーリス・ユトリロ(1883年12月26日 - 1955年11月5日)
- ルイ・ヴィヴァン(1861-1936)
- アンドレ・ボーシャン(1873-1958)
- セラフィーヌ・ルイ(1864-1934)
- シャイム・スーティン(1893年1月13日 - 1943年8月9日)
- アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884年7月12日 - 1920年1月24日)
- マルク・シャガール(1887年7月7日 - 1985年3月28日)
- 藤田 嗣治(ふじた つぐはる、Leonard Foujita, 1886年11月27日 - 1968年1月29日)
- ジュール・パスキン(本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス、1885年3月31日 - 1930年6月5日)
- モイーズ・キスリング(1891年1月22日 - 1953年4月29日)
エコール・ド・パリの絵画の特色と様式
多くの絵画の様式は、さまざまな理念や美学に影響され支えられているものがほとんどです。
しかし、それ以外で特別な理念や美学に支えられる絵画運動や絵画様式に加わらずに、独自の表現を追及した画家たちがいます。
その代表的なものは「エコール・ド・パリ」といわれる画家たちです。彼らは世界各地からパリにやってきて、抒情性の強い絵画作品を制作しました。
「エコール・ド・パリ」と呼ばれるのは一般的に第一次世界大戦直前にパリに集まってきた世界各地の放浪の芸術家たちを指しています。
ただ、彼らは特別に共有する芸術運動や絵画運動があるわけではなく、特定の理念や美学で結ばれたグループというわけではありません。
彼らはそれぞれ独自の絵画表現をしていて、特定の芸術運動に影響されていないパリで注目された画家達です。
「エコール・ド・パリ」の画家の特徴
素朴派
画家以外に職業を持ちながら絵画の制作活動をしていた日曜画家のような人たちです。
彼らはアカデミズムの技巧的絵画表現が崩壊した20世紀において、新鮮な詩情を表現することで注目を集めました。
広い意味での「エコール・ド・パリ」は、この素朴派を含んでいます。
放浪画家
第一次世界大戦直前にパリに期せずして世界各地からやってきた放浪画家です。
一般的に「エコール・ド・パリ」の画家は彼らを意味します。
エコール・ド・パリの素朴派
アンリ・ルソー(1844-1910)
[アンリ・ルソー,夢, 1910年]
税関吏として生涯を送り、遅くなってから絵画に興味を持ち、制作を始めました。仕事の合間に絵画制作を続け、描かれた作品群は詩情豊かなのが特徴です。
ピカソやアポリネールと親交がありましたが、キュビスムとはまったく違うルソー独特の幻想的で子供のような素朴な絵画を制作しました。
ルソーは素朴派画家の中心とみなされる場合があります。
モーリス・ユトリロ(1883-1955)
[モーリス・ユトリロ,冬のサクレ・クール]
世紀末にモンマルトルで女王のように君臨していたモデルで女流画家であったシュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)の息子です。
ルイ・ヴィヴァン(1861-1936)
[ルイ・ヴィヴァン,Paris Montmartre, Cabaret Lapin Agile]
郵便配達を本職にしながら、ヴェルサイユ宮殿やノートル・ダム協会などを丹念に描き出しました。
アンドレ・ボーシャン(1873-1958)
[アンドレ・ボーシャン,芸術家たちの聖母,1948年]
園芸などの職業を持ちながら、神話的主題、歴史的主題を描き出しました。
セラフィーヌ・ルイ(1864-1934)
[セラフィーヌ・ルイ,セラフィーヌの庭]
家政婦のような仕事をして生計を立てながら、絵画製作を続けました。あまりにも異常な幻想力のために、精神病院で生涯を終えています。
エコール・ド・パリの放浪画家
シャイム・スーティン(1894-1943)
[シャイム・スーティン,マキシムのボーイ,1927年]
リトアニアのスミロヴィッチで生まれています。17歳のときにパリに出てモンパルナスに住みました。
アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)
[アメデオ・モディリアーニ,青い目の女,1918年]
イタリアのリヴォルヌから1906年にパリに出てきました。線描法による美しい独特の人物像を数多く残しています。36歳で死去。
マルク・シャガール(1887-1985)
[マルク・シャガール,誕生日]
ロシアのヴィテヴスクで生まれています。スーティンと同時期にパリに出てきました。幻想的な独特の画風で知られています。彼はモンパルナスの「蜂の巣」と呼ばれたアトリエ村に住んでいたエコール・ド・パリの画家の一人に数えられます。同じころ藤田嗣治がいました。
藤田嗣治(1886-1968)
[藤田嗣治,カフェにて]
日本からパリに渡りました。彼はモンパルナスの「蜂の巣」と呼ばれたアトリエ村に住んでいたエコール・ド・パリの画家の一人に数えられます。
ジュール・パスキン(1885-1930)本名:ユリウス・ピンカス
[ジュール・パスキン,小さな踊り子,1924年]
ブルガリアのウィディンで生まれました。第一次世界大戦の勃発の時期にパリに住み始めます。
モイーズ・キスリング(1891-1953)
[モイーズ・キスリング,婦人像]
ポーランドのクラコヴィアで生まれました。第一次世界大戦直前にパリに出てきます。