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ナビ派-装飾性と表現性

西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史

ナビ派の主な人物

時代

19世紀末

主な場所

フランス、パリ

主な人物

  • ポール・セリュジエ(Paul Serusier, 1864年11月9日-1927年10月7日)
  • ピエール・ボナール(Pierre Bonnard, 1867年10月3日 - 1947年1月23日)[1番目の図]
  • エドゥアール・ヴュイヤール(Edouard Vuillard, 1868年11月11日 - 1940年6月21日)[2番目の図]
  • モーリス・ドニ(Maurice Denis, 1870年11月25日 - 1943年11月13日)[3番目の図]
  • ポール・ランソン(Paul Ranson, Paul-Elie Ranson, 1864年 - 1909年2月20日)

以上の画家が集まって前衛芸術グループが結成されます。

『ナビ』はヘブライ語で預言者を意味しているので、彼らは絵画を革新するための『預言者』になるという情熱を持っていたのかもしれません。

ナビ派の絵画の特色と様式

ボナール「逆光の裸婦」1908年
[ボナール,「逆光の裸婦」,1908年]

ナビ派は、色や線、形など造形要素そのものの表現力である装飾性と表現性の二つの重要な特色を明確にさせ、画面の二次元性を尊重しました。

ナビ派の誕生のきっかけは、1888年にポール・セリュジュがゴーギャンに絵画の教えを受けたことにあります。

それは「あまり自然に即して描いてはいけない。自然に存在しないような鮮烈な色彩を思い切って用いるように。」というゴーギャンの教えで、その時に描かれたのは下図『タリスマン』という作品でした。タリスマンとは護符を意味します。

ポール・セリュジュ《タリスマン》1888年、オルセー美術館
ポール・セリュジュ《タリスマン》1888年

ナビ派の中で最も絵画の歴史の上で成果をもたらしたのは、ボナールとヴァイヤールです。

ボナールは、日本の浮世絵に多くの影響を受けています。画面の二次元性を強調し、平坦な色面配合による強い装飾的効果を目的としたナビ派の美学は、浮世絵に深く通じるところがありました。

また、ボナールは、彼独自の多彩な色彩力を発揮することで20世紀における色彩の開放を促す役割を担っていました。

ヴァイヤールは、ボナールと比べれば渋い色彩の調和によって画面を構成しています。その主題は静かで平和な家庭の情景が特徴です。

モーリス・ドニ,母と子,1895年
[モーリス・ドニ,母と子,1895年]

エドワール・ヴュイヤール,The Goose,1890-91年
[エドワール・ヴュイヤール,The Goose,1890-91年]

ナビ派の中でも理論家であったモーリス・ドニは、ナビ派の美学を次の有名な一句に要約しています。

「絵画作品とは、何らかの逸話的なものである前に、本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた線や色彩によって覆われた平坦な面である。」

この言葉は、絵画の本質である二次元性と造形要素の自律性を確立するための20世紀絵画の出発の宣言と捉えることができます。

しかし、それまで絵画に統一性を与えた人物、風景、静物などの主題がない中に、新しい絵画の統一原理を確立することは簡単ではありませんでした。ドニは必要な統一原理は漠然と「ある一定の秩序」といっています。

「ある一定の秩序」とは、多種多様に存在し、人それぞれが違うものでもあります。だから、決まりきった秩序をしなければいけないということはない、という意味を含んでいます。

この言葉は、20世紀の芸術の方向性を暗示していて、進むべき道の多様性、独立性、芸術の豊穣を保障し、後にキュビスム、フォーヴィスム、抽象絵画を支える理論的な支柱となります。

そして、20世紀絵画で最初に登場するのが色彩表現を「秩序」とするフォーヴィスムでした。

そこに見られる「秩序」には、人間の内的心情の表現であるゴッホのような表現主義的な信条と、ナビ派を通して継承されたゴーギャンの装飾性とが一つに結びつけられた色彩の持つ表現力を極度に歌い上げようとするフォーヴィスムの美学があります。

20世紀絵画は色彩の開放から始まります。

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