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表現主義-人間の内面性の表現

西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史

表現主義の主な人物

時代

20世紀初頭 1905年

主な場所

ドイツは、ドレスデン、ベルリン、ミュンヘン
オーストリアは、ウィーン

主なグループと人物

    ドレスデンのグループ『ブリュッケ(橋)』

  • エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner,1880年5月6日-1938年6月15日)
  • エーリッヒ・ヘッケル(Erick Heckel,1883年-1970年)
  • カール・シュミット=ロットルフ(Karl Schmidt-Rottluff,1884年12月1日-1976年8月10日)
  • フリッツ・ブライエル
  • エミール・ノルデ(Emil Nolde,1867年8月7日-1956年4月15日)
  • ペヒシュタイン(Pechstein,1881年12月31日-1955年6月29日)
  • オットー・ミュラー

    ミュンヘンのグループ『ブラウエ・ライター(青騎士)』

  • ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky,1866年12月4日-1944年12月13日)
  • アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー (Alexej von Jawlensky,1865年3月13日–1941年3月15日)
  • フランツ・マルク(Franz Marc,1880年2月8日-1916年3月4日)
  • パウル・クレー(Paul Klee,1879年12月18日-1940年6月29日)
  • アウグスト・マッケ(August Macke,1887年1月3日-1914年9月26日)
  • リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger,1871年7月17日-1956年1月11日)

    オーストリアの表現主義

  • エゴン・シーレ(Egon Schiele,1890年6月12日-1918年10月31日)
  • オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka,1886年3月1日-1980年2月22日)

ドイツ表現主義の画家と特色

『ブリュッケ(橋)』の画家と特色

1905年にドレスデンでは『ブリュッケ(橋)』というグループが結成され、ドイツを中心としたドイツ表現主義が始まりました。

端的に言えば表現主義は印象主義に対峙する表現です。

印象主義が外界の視覚的印象を写し取る表面的な絵画であるのに対して、表現主義は人間の内面性を表現したり、対象の内部に入り込んだ本質を抉るような絵画です。

表現主義は後期印象主義のゴッホやフォーヴィスム、プリミティブ芸術から多くの影響を受けていて、激しいデフォルメと暗鬱とした色彩を特徴としています。また、表現主義は既成の権威に対して反逆的な精神を持った芸術活動でもありました。

『ブリュッケ(橋)』は絵画以外に版画、木彫り、ポスターなどの表現方法を使って、さまざまなテーマを表現しています。

ドイツ表現主義はフォーヴィスム的な色調やデフォルメが見られるものの、社会批判をテーマにしたデフォルメや色調は、色彩による絵画の統一的原理を追求したフォービスムとは違う側面があります。

エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner,1880年5月6日-1938年6月15日)

反社会的な画風を好み、盛り場や娼婦を好んで描いています。

エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー,Berlin Street Scene
[Berlin Street Scene, 1913年]


エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel,1883年-1970年)

風景を題材にした作品を多く残しています。独学で学んだ絵画は非常に個性的です。

エーリッヒ・ヘッケル,ガラスの日
[ガラスの日, 1913年]

『ブラウエ・ライター(青騎士)』の画家と特色

1909年にミュンヘンでカンディンスキーを中心とした『新芸術家同盟』が結成されますが、そのグループは2年後に『ブラウエ・ライター(青騎士)』が誕生する出発点となります。

彼らは内的生命と内的必然性のある作品の制作を主張していて、キュビスムやオルフィスムなどからも影響を受けて発展します。

また絵画のみならず、音楽、文学、建築などの既成概念を打破する新しい表現様式を打ち立てようと、前衛的な芸術活動を展開しました。

ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky,1866年12月4日-1944年12月13日)

カンディンスキーの表現主義的な抽象絵画が誕生する変遷を垣間見ることができます。この時代の彼の連作は非常に実験的であり、劇的な作業が行われています。

ワシリー・カンディンスキー,Fugue
[Fugue, 1914年]


フランツ・マルク(Franz Marc,1880年2月8日-1916年3月4日)

マルクの絵画は人間よりも動物の美しく神秘的な生命を題材にています。その後、彼の絵画はキュビスムや未来派などの影響を受け、抽象絵画へと展開しました。

フランツ・マルク,The Yellow Cow
[The Yellow Cow, 1911年]


アウグスト・マッケ(August Macke,1887年1月3日-1914年9月26日)

マッケの絵画は対象を単純化し象徴化するような形と色彩が響きあう色遣いで、フォーヴィスムを想起させる独自の表現が特徴です。

アウグスト・マッケ,女 a グリーンジャケット
[女 a グリーンジャケット, 1913年]

オーストリアの表現主義の画家と特色

19世紀後半よりオーストリアの芸術の中心地のウィーンではグスタフ・クリムトを代表としたウィーン分離派がアカデミズムに対抗した個性的な表現を目指していました。

ドイツ表現主義の波がオーストリアに届いたころはエゴン・シーレやオスカー・ココシュカがウィーン分離派の環境とクリムトの影響を受けていて、表現主義的絵画を制作していました。

オーストリアではドイツの様な芸術運動に発展することはなく、両者はドイツに渡り表現主義の活動に参加しています。

エゴン・シーレは1911年にクレーがいるミュンヘンの芸術家集団『ゼマ』に参加し、オスカー・ココシュカはベルリンの芸術運動の雑誌『嵐』に編集協力者として参加しています。

エゴン・シーレ(Egon Schiele,1890年6月12日-1918年10月31日)

エゴン・シーレの独特な色彩やデフォルメは不安や嫌悪、性的な感情などをさまざまに表現しています。

エゴン・シーレ,Self Portrait with Physalis
[Self Portrait with Physalis, 1912年]


オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka,1886年3月1日-1980年2月22日)

オスカー・ココシュカのうねった筆致や強烈な色彩は、さまざまな感情を感じさせます。

オスカー・ココシュカ,Two Nudes (Lovers)
[Two Nudes (Lovers), 1913年]

表現主義の絵画様式のその後

表現主義がドイツの美術様式を活性化させていくと、『ブリュッケ(橋)』は各芸術家の表現が独自のものへと変化することで1913年に解散します。

『ブラウエ・ライター(青騎士)』は表現主義的理念を保持しつつ、キュビスム、オルフィスム、未来派などの影響を受け、抽象芸術へ展開していきました。

特にカンディンスキーが抽象的な表現主義に達し、抽象芸術の開拓者と呼ばれるほどの存在になります。フランツ・マルクやパウル・クレーも抽象絵画へと絵画様式を展開させています。

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