デッサンと言う礎

ダダイズム-社会の中の芸術

芸術って何だ!|デッサンと言う礎

ダダイズムの主な人物

時代

20世紀初頭、第一次世界大戦中の1916年に起こりました。

主な場所

スイスのチューリッヒで始まり、アメリカはニューヨーク、ドイツはベルリンやケルン、ハノーヴァーなどへ広がりました。

主な人物

    スイスのチューリッヒ

  • トリスタン・ツァラ(1896年4月16日 - 1963年12月25日)詩人、ダダイスムの創始者
  • ハンス(ジャン)・アルプ(1886年9月16日 - 1966年6月7日)彫刻家、画家、詩人
  • ハンス・リヒター(1888年4月6日 - 1976年2月1日)ドイツの画家、映画監督
  • フーゴ・バル(1886年2月22日 - 1927年9月14日)ドイツの作家、詩人、ダダを主導した芸術家

    アメリカのニューヨーク

  • マルセル・デュシャン(1887年7月28日 - 1968年10月2日)美術家
  • フランシス=マリー・マルティネス・ピカビア(1879年1月22日 - 1953年11月30日)画家、詩人、美術家
  • アルフレッド・スティーグリッツ(1864年1月1日-1946年7月13日)アメリカの写真家。近代写真の父
  • マン・レイ(1890年8月27日 - 1976年11月18日)アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家

    ドイツのベルリン

  • リヒャルト・ヒュルゼンベック 作家
  • ジョン・ハートフィールド(1891年6月19日 - 1968年4月26日)ドイツ、ベルリンの写真家
  • ジョージ・グロス(1893年7月26日 - 1959年7月6日)ドイツ出身の画家
  • ラウル・ハウスマン(1886年7月12日-1971年2月1日)オーストリアの画家・詩人・写真家

    ドイツのケルン

  • マックス・エルンスト(1891年4月2日 - 1976年4月1日)ドイツ人画家・彫刻家

    ドイツのハノーヴァー

  • クルト・シュヴィッタース(1887年6月20日 - 1948年1月8日)ドイツの芸術家・画家

ダダイズムの始まり

「ダダ」は20世紀初頭に台頭した芸術運動であり芸術思想です。

その運動を称する「ダダ」は、ラルース辞書を無作為に繰って偶然出た語であるとか、色んな説がありますが、要するに「無意味」を意味し、それゆえに彼らの否定精神を象徴する語です。

ダダは第一次世界対戦中およびその直後に、各地に広まった運動で、「大戦」による悲劇的な犠牲を強いた既成価値体系の反発と考えられています。

西欧文明を自己破壊へと追いやる科学的で技術的な進歩を促す合理的な近代社会と武力を激しく非難しました。

また、ブルジョア社会の仕組みや、そこに安住してしまった科学的で合理的な枠組みに囚われる芸術の方向性に対して否定的なので、反芸術的な運動といえます。

閉塞した危機的な社会の状況からの脱出するために合理性とは正反対の作品を提示しました。それは、嘲笑的で馬鹿馬鹿しく冗談めいていています。社会的反抗でありながら虚無主義的で直観的で感情的な作品でした。

スイス-チューリッヒのダダイズム

「ダダ」は1916年、チューリッヒの芸術クラブ「キャバレー・ヴォルテール」をルーマニアの詩人トリスタン・ツァラら多数の芸術家によって開店し、毎夕、クラブで音楽や文学のデモンストレーションを行ないました。

ドイツの作家フーゴ・バルは音声詩という試みを行なっています。それは、何の意味も持たない羅列のような詩の事で、紙製のなんだか分からない服を着て、一晩中大声でもっともらしく朗読をするものでした。

ツァラも同時進行詩というのを試みています。これは、英語、フランス語、イタリア語で同時に詩を朗読して、聞く人が意味不明になってしまうものでした。

これらは、既製の文化を否定するために、意味をはぎ取る行為と考えられます。その後に現れる意味がない根源的な物質、素材から表現を始めることを基本としています。現代のハプニングやイヴェント、パフォーマンスなどの原型といわれています。

アメリカ-ニューヨークのダダイズム

ニューヨークではチューリッヒの活動をうけつぐのではなく、同時発生的にダダ的活動が行なわれました。中心的人物にフランシス・ピカビア、マン・レイ、マルセル・デュシャン(1887年7月28日 - 1968年10月2日)(下画像)らがいます。

マルセル・デュシャン

そこでは造形芸術の領域に関わる問題が争点の中心で、既存のあらゆる芸術の体系を打ち壊そうという意志を持って、芸術観や美学を徹底的に批判しました。

デュシャンが1917年に発表する『泉』(下画像)は、既製品を美的感覚によらずに選ぶという"レディ・メイド"という概念で、視覚的な美しさや作者による技巧などの価値観を否定しています。

近代芸術の「純粋な美」を追求してきた画家の感覚、感性を捨て去る行為として『泉』という題名の下、便器を「選ぶ」という方法をとったのです。

マルセル・デュシャン,泉
マルセル・デュシャン『泉』

デュシャンは、芸術表現にふれる鑑賞者の引き起こされる観念自体が「芸術作品」と主張しました。

このような作家と鑑賞者をつなぐ表現行為はハプニングやパフォーマンスに受け継がれています。

また、デュシャンにおいて特筆すべき所では、『ジョコンダ・L・H・O・O・Q』(下画像)という作品で『モナ・リザ』の複製に口ひげをつけた作品です。

口ひげを描き混むこむことでジョコンダ夫人という主題のイメージとしての『モナ・リザ』は嘲笑され、支持体と絵の具の塊のオブジェへ引き戻されています。

この作品には既存の芸術に対する否定が含まれ、様々な議論がなされました。

マルセル・デュシャン,ジョコンダ・L・H・O・O・Q
マルセル・デュシャン『ジョコンダ・L・H・O・O・Q』

すべての絵画は『ジョコンダ・L・H・O・O・Q』のように、ただの支持体と絵の具の塊です。しかし『モナ・リザ』は大衆の象徴として利用されているので、あるコンセプトにおける厳選された主題と考えられます。『泉』における便器も同様だと思います。

このように大衆の耳目をひきつけるデュシャンの行為は単なる思い付きではなく計算されつくされた表現として訴える力があります。

デュシャンの活動は、その後の非芸術を芸術に取り込む行為の根拠ともなり、彼が批判した芸術や美学の展開に大きな道筋を与えました。

デュシャンのこのような試みは、後のコンセプチュアル・アート(1960年代から1970年代の前衛芸術運動)へ通じていきます。

ドイツのダダイズム

ベルリンにもまた、社会的な混沌の渦のなかで、新しい価値体系を打ち立てようとする動きがありました。

チューリッヒのダダの否定的で破壊的な響きとは異なり、ベルリンの方向は、新しい価値、それも芸術内で終止するのではなくもっと広く社会全般に有効な価値を作り出そうとする点、つまり社会革命の志向を含んでいた点で特徴づけられています。

彼らの社会批判は、人間の生きる社会的な条件について考慮せずには、ほとんど何もかもが無効であるように、生存する事自体が問題になります。彼らの運動は「芸術」に限らず政治的な色彩に染められていきます。

美術の視点では雑誌やポスターの作成を中心に展開されました。手法は、タイポグラフィー、コラージュ、フォトモンタージュといった、自らの手で描くことをしない間接的な手法です。

コラージュではジョルジュ・ブラックが行なった様な、絵画の材料として取り込むものではなく、物質的な側面を重視した絵画を作る素材とは異質なものとして利用されます。

コラージュはアッサンブラージュという手法をうみだし、彫刻と絵画といった既製の美術形式を揺るがせました。

そして既存の絵画の枠組みを壊し、「反美術」としての美術作品を成り立たせようとしました。

ダダイズムの終わり

ダダの運動は、個々それそれが新たな理念や価値体系を必要としていきます。

戦争の収束や社会的な安定と共にダダという一種の象徴的運動が弱まっていくと、ダダの行為や作品はアートと認識され、市民の中に取り込まれていきます。

その後、シュールレアリスムなどの新たなアートへ引き継がれていきました。

ダダは、固定観念、既成概念を超克することの意義を世界に知らしめることに成功したアートといえます。アートにおいて、新たな方向を模索したこの運動は一種の革命といえます。

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