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キュビスム-形態の統一的原理

西洋絵画の歴史・美術史|芸術と絵画史

キュビスムの主な人物

時代

20世紀初頭

主な場所

フランス、パリ

主な人物・団体

  • パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881年10月25日 - 1973年4月8日)
  • ジョルジュ・ブラック(Georges Braque, 1882年5月13日 - 1963年8月31日)
  • フェルナン・レジェ(Fernand Leger、1881年2月4日-1955年8月17日)
  • フアン・グリス(Juan Gris, 1887年3月23日 - 1927年5月11日)
  • ロベール・ドローネー(Robert Delaunay, 1885年4月12日-1941年10月25日)
  • ピュトー・グループ(ピュトー派、Puteaux Group)キュビスムを志向したグループで1910年から1914年(第一次世界大戦開始)まで存在していました。

キュビスムの絵画の特色と様式

色彩の統一的原理によって絵画を構築しようとしたフォーヴィスムに対し、形態による統一的原理によって絵画を構築しようとしたのがキュビスムです。

キュビスムは3次元の対象、主題を写実的な表現ではなく、2次元である絵画ならではの平面へ再構築させる探究をしていきます。

フォーヴィスムが感覚的な色彩表現であるのに対して、キュビスムは理知的な形態把握によるモチーフの分析と解体そして、その再構成をおもな絵画の統一原理としています。

ジョルジュ・ブラック-La Roche Guyon,1909
ジョルジュ・ブラック-La Roche Guyon,1909

キュビスムの推進者はモンマルトルで活動していたパブロ・ピカソ(1881-1973)、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)で後にファン・グリ(1887-1927)が加わりました。

彼ら3人が正統派キュビスムの中心とされ、第一次世界大戦まで目覚しい活躍をします。

キュビスム美学の根本的原理は、感覚的秩序よりも理知的秩序にもとづくもので、世界の分析と解体を試み、それを再構成するという点です。

それは、2次元であるキャンバスに3次元の世界を復活する格闘で、描く対象を分析し解体して断片化していく作業が行われます。

対象をより完全に捉えるために一つの視点から見えるとおりに描くのではなく、立体を意識し、視点を複数化して描くことが要求されました。

この作業はキュビスト美学の第一段階である対象の分析で、次の作業は断片化された対象を再構成することでした。

このようにキュビストの画面を統一させる統一的原理は、対象の分析と解体による対象把握をし、それにより断片化された対象を画家自身の構成原理により再構成することでした。

認識された真実の対象や主題が再構成されると、2次元のキャンバスに3次元の世界が復活していきます。

ロベール ドローネー-La Tour Eifel,1910
ロベール ドローネー-La Tour Eifel,1910

同時期、モンマルトルで活動していたピカソとは別に、モンパルナスにキュビスムのもう一つの中心がありました。

モンパルナスのキュビスムの中心にはフェルナンド・レジェ(1881-1955)、ロベール・ドローネー(1885-1941)がいました。

彼らの追求するキュビスムはピカソらのものと基本的に変わらないものでしたが、2つの点で大きな差異があります。

フェルナン レジェ-Le Balcon,1914
フェルナン レジェ-Le Balcon,1914

1つは、ピカソたちの絵画は形態にこだわることで画面から色彩が失われ、彩度の少ない渋い色調ですが、ドローネーやレジェの絵画は、印象派の築いた原色の表現を受け継ぎ、明るい彩度の高い色彩を表現させています。

もう1つは、ピカソやブラックらが2次元の画面へ3次元の世界を構築していくことにこだわることで作品は静止した傾向がみられますが、ドローネーやレジェの作品はダイナミックな動きのある傾向がみられます。

マルセル・デュシャン-階段を下りる裸体,1912
マルセル・デュシャン-階段を下りる裸体,1912

モンマルトル、モンパルナスとは別にキュビスムの運動には、更にもう1つの中心地がありました。

パリの郊外にあるピュトーという町でアトリエを構えていたジャック・ヴィヨン(1875-1963)、マルセル・デュシャン(1887年 - 1968年)、レモイン・デュシャン・ヴィヨン(1876-1918)の3兄弟がグループの中心で、ロジェ・ド・ラ・フレネー(1885-1925)、フランソワ・クプカ(1871-1957)、などがいました。

彼らはピカソよりレジェやドローネーと仲が良かったようです。

後に彼らの中から抽象絵画の先駆ともいえる『セクション・ドール(黄金分割)』の運動が起こります。

キュビスムは対象の分析、分解と再構成を基本的美学としている中で、画面のコンポジションを重要視して構成原理を追及していきます。

この構成原理を数学的見地から極度に追求したのが『セクション・ドール(黄金分割)』の運動で、幾何学的抽象の第一歩と考えることができます。

キュビスムは、フランスのパリという特定の場所で期せずして起こり、その運動は1914年の第一次世界大戦勃発とともに彼らの運動は停止させられてしまいます。

しかし、キュビストたちはキュビスム美学をほぼ完成させ、独自の世界をそれぞれに追求し深めていくことになりました。現代でもその影響は計り知れません。

パブロ・ピカソの活動とキュビスム

スペイン人であるパブロ・ピカソは20世紀初頭からパリに住み着きました。

その後90年という長い生涯にわたり彼の思想をともなう作品群は全世界に影響を与えていきます。

彼の創作は、さまざまな実験と検証が繰り返されるうえ、一つの方法論に執着することがありませんでした。

パブロ・ピカソ,アヴィニョンの娘たち
[パブロ・ピカソ,アヴィニョンの娘たち,1907年 ]

キュビスムでは、『アヴィニョンの娘たち』(上図)を発表しています。

そこには黒人彫刻や古代イベリア彫刻などのプリミティブ(原始的)芸術の影響によるデフォルメと、セザンヌの影響を感じる構成による革新的な絵画が実現されています。

その後、1937年には、『ゲルニカ』(下図)という世界遺産を描きあげています。

パブロ・ピカソ,ゲルニカ
[パブロ・ピカソ,ゲルニカ,1937年]

分析的キュビスムと総合的キュビスム

1909~1911年頃にピカソはブラックとともに分析的キュビスムを行い、対象の幾何学的分析と解体を進めました。

その後に発展していく絵画を総合的キュビスムといい、解体された対象を構成することがおしすすめらていきます。

それは、新聞、トランプ、壁紙など平面的イメージを導入することなどで失われた現実を回復する試みで、そこに見られる理知的、自律的な構成は再現的な絵画を超越して、絵画の可能性を広げました。

このキュビスムによる研究によって、新聞や壁紙という現物を直接画面に貼り付ける「コラージュ」「パピエ・コレ(貼り付けられた紙:意味)」「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」などの技法が展開していきます。

キュビスムの絵画様式のその後

キュビスムの絵画様式はオルフィスム、ピュリスムなどへ受け継がれ、多くの画家に影響を及ぼしています。

またキュビスムは表現主義の青騎士などへ影響を与えて抽象絵画へ発展させる要因にもなりました。

さらにモンドリアンの絵画などは、極度にキュビスムを追求した幾何学的な抽象絵画と考えることができます。

このようにキュビスムの対象の分析と解体、再構成するという手法は多くの絵画をはじめとする芸術に影響を与えています。

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