抽象主義-抽象絵画の構成原理
芸術と絵画史|デッサンと言う礎
このページの目次
抽象主義の主な人物
時代
1910年頃
主な場所
諸説ありますが、ワシリー・カンディンスキーにより、ドイツはミュンヘンから始まったとされています。
主な人物
- ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)
- ピエト・モンドリアン(1872-1944)
- カシミール・マレーヴィッチ(1878-1935)
- フランシス・ピカビア(1879-1953)
- ロベール・ドローネー(1885-1941)
- フランソワ・クプカ(1871-1957)
抽象主義の絵画の特色と様式
抽象主義絵画は、写実主義絵画の限界を基点に急速に発展したと考えられています。
現実世界の再現をやめて、色や形に本来備わっている造形性や自己の内面を追及するようになることで抽象主義的絵画が誕生しました。
19世紀末から20世紀初期には抽象主義絵画とはいえないまでも、その芽生えはナビ派やフォーヴィスム、キュビスムの絵画で垣間見ることができます。
ナビ派はゴーギャンの影響などもあり、画面を装飾的な抽象模様にするなど、大胆な試みをしています。
フォーヴィスムは、絵画の2次元性と構成原理として色彩が本来持っている造形性の追及に努め、必然的に絵画の抽象性を模索しています。
そして、キュビスムがモチーフの形態にこだわることで、モチーフの解体・分析・構成が繰り返され、抽象絵画の準備ともいえる活動が促進されていきます。
それらの流れを経た絵画は、抽象主義絵画へ帰結していきます。
20世紀の美術界において大きな偉業を成し遂げた抽象主義は、それまでのナビ派、フォーヴィスム、キュビスムなどのように1つのグループとして展開したものではありません。
抽象主義は、現実世界の再現性を拒否した絵画が自律性を確立するために世界各地で同時多発的に発生したものと考えるべきでしょう。
最初の抽象主義絵画は1910年前後に始まったとされています。1910年にワシリー・カンディンスキー(1866-1944)によって描かれた水彩絵画は、一般的に最初の意識的な抽象絵画といわれています。
抽象主義絵画を一括りで語るのは難しく、下記のように大きく3つの流れを踏まえて考える必要があります。
自己表現的抽象
自己の内面を創造活動の基本とした抽象絵画です。
色や形は、画家の内面世界の反映であり、作者の内面と表現形式が統一することを目指しています。
造形要素は内面性の表現手段であり、絵画は自己の内面が造形表現として結晶するものであると考える傾向があります。
代表的な画家に、カンディンスキー(1866-1944)がいます。
幾何学的抽象
外界の現実を基本にした抽象絵画です。
キュビスムの影響を受け、キュビスムの解体と分析などの手法を取り入れる傾向がみられます。
絵画の表現対象を純粋な造形要素にまで還元し、基本的な世界の根本原理を分析し、絵画において表現しようと試みます。
代表的な画家に、ピエト・モンドリアン(1872-1944)やカシミール・マレーヴィッチ(1878-1935)がいます。
造形要素の抽象
外界の現実や自己の内面を否定して、色彩、形態など造形要素そのものに備わっている表現性を主題とする抽象絵画です。
それは造形要素に認められる抽象性に表現を与えようとしたものです。
代表的なな画家に、フランシス・ピカビア(1879-1953)、フランソワ・クプカ(1871-1957)、ロベール・ドローネー(1885-1941)がいます。
自己表現的抽象
カンディンスキー(1866-1944)
[Gorge Improvisation, 1914年]
カンディンスキーは『青騎士』といわれるグループの中心的存在でした。
『青騎士』は、一見幾何学的抽象に見えますが、自分自身の内面を抽象的な絵画によって表現するグループです。
カンディンスキーの作品に、「コンポジション」「即興」などの音楽的な題名が多いのは、彼が「最も純粋な芸術」のモデルを音楽にしていたことにあります。
彼は形態の問題でもっとも大切なものは、その形態が"内的必然性"から生まれ出たものかどうかであると考えています。それは形態が個性的であるとか、流行っているかどうかは問題ではありませんでした。
幾何学的抽象
ピエト・モンドリアン(1872-1944)
[ブロードウェイ・ブギ・ウギ, 1943年]
モンドリアンはオランダのアメルスフォールトに生まれました。
39歳の時にパリに出てくると、ピカソやブラックのキュビスムに惹きつけられています。
その後キュビスムの美学を徹底させていくモンドリアンは、水平と垂直な線の組み合わせだけにもとづいた幾何学的な構図に達していきます。
色彩面では赤、青、黄の三原色と白黒グレーだけを使用するようになり、明快な絵画画面が構築されるようになります。
このようにモンドリアンは、最も基本的な世界の原理にまで達することを信じ、絵画を純粋な造形要素に還元しようとしました。
モンドリアンの活動は『ネオ・プラスティシスム(新造形主義)』の運動に発展しました。
カシミール・マレーヴィッチ(1878-1935)
[シュプレマティズム, 1917年]
マレーヴィッチはレジェやピカソのキュビスムの影響を受け、独特な抽象絵画を制作しています。
彼の作品は正方形や十字形、長方形などの単純な形態を組み合わせた構成がみられ、モンドリアン同様に『幾何学的抽象』とみることができます。
しかし、モンドリアンが空間の分割を中心的な課題にしているのに対して、マレーヴィッチは抽象的な形の組み合わせを中心的な課題にしているところに大きな相違があります。
マレーヴィッチは自己の活動を『シュプレマティスム(絶対主義)』と称し、絵画を純粋な感性の絶対表現であるとする美学を主張しました。
造形要素の抽象
フランシス・ピカビア(1879-1953)
[Dances at the Spring (La Danse a la source), 1912年]
『セクションドール』というグループの一人です。
『セクションドール』は、キュビスムの一派とみられますが、キュビスムから影響を受けたモンドリアンのような構成原理を求めた幾何学的抽象ではありませんでした。
それは、華麗な色彩とリズミカルな動きのある構図で暖かく華やかな抽象絵画を探求するものでした。
ロベール・ドローネー(1885-1941)
[エッフェル塔, 1911年]
ドローネーも『セクションドール』の一人です。
ピカビアとともに、同じ理念における抽象絵画を探求しています。
フランソワ・クプカ(1871-1957)
[Planes by Colors, Large Nude,1909-1910年]
クプカも『セクションドール』の一人です。
ピカビアやドローネーに比べ、クプカの作品には構成的な意図が強く感じられます。また、音楽的な題名の作品が多く律動的な特色も認められます。