| ■印象主義から後期印象主義、新印象主義への移り変わり
印象派グループの展覧会は1874年に第一回の展覧会を行った。それ以来1886年まで8回行われた。8回目の最後の印象派展覧会に参加した画家は、ゴーギャン、スーラ、シニャック、ルドンらだった。展覧会は、それまでの印象主義に反したものとなる。展覧会の後、ゴーギャンは「印象派は自分の眼の周りばかりを探していて、思想の神秘的内部へ入り込もうとしない。」と非難し、ルドンは印象派の視野の狭さを「天井が低い。」と非難し、スーラとシニャックは「印象派のあまりに感覚的な写実主義は、もっと科学的、理知的な原理に基づかせなければならない。」と考えた。
もともと、写実主義を継承して発展してきた印象主義を非難し、覆そうとする事は、印象主義のみならず、写実主義の否定にもつながった。写実主義は二次元の平面である画面に三次元の世界を写してきたトリックであった。その制作の多くの根拠は、眼で見える外界のものをよりどころとし、感覚主義的なものであった。その写実主義は限界を迎え、後期印象主義、新印象主義による新たな時代を迎える。それまでの絵画制作の根拠が外界にあったのに対し、自分の内側に向かっていく事になる。ゴーギャンの「印象派は自分の眼の周りばかりを探していて、思想の神秘的内部へ入り込もうとしない。」という言葉は、それを端的にあらわしている。また、画面に三次元の世界を写してきたトリックを否定し、色や点、線、面に備わっている造形要素を追及することで、二次元の平面である画面を強く認識することになる。
科学的根拠、形態の純粋性、色彩の純粋性、理論的根拠、内面的表現、などがこの時代の重要なキーワードになってくる。写実主義と縁を切った絵画は、二次元を強調する自己の本性に基づく表現へと出発する。
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